●名工濱野矩随の先代「濱野政随」(?)の縁頭「鶴亀」
先年潔く引退された三遊亭円楽師匠の十八番に「名人濱野矩随」があった。語り口も上手く、中々に良く聞かせる人情噺であり、古典落語の名作の一つとされる。我自身も金工名人の話としてある程度評価するし中々素晴らしいとは思う。ただ少し、単純に一心不乱に仕事をして急に名人になると言う話は少し違和感を覚えるし、これは名作と言われる吉川英治の『宮本武蔵』と同じである。つまり吉川武蔵も白鷺城の天守閣に一年こもって本を読むと急に強くなると言う違和感があり、これは確かに変である。少し凡手が名人になる言う、その根本メカニズムが暈された形になっている事には不満を覚える……がしかしそれも所詮は落語の話であり(※)、暫しおくとして、いま少し話には難点があり、矩随の母親の気丈さは非常に理解出るが、ただ最後に九寸五分を以て自害すると言う理由が不詳であり、話の流れとしてはやや不自然である。これは息子を想う母としては決してやってはならない事ではないかと思うのであるが。
ただこの話の元ネタは講談であるとされるが、その講談原本を我も不見であり、分からないが、いま少しの説明があった可能性がもある。
つまり自殺する理由を鑑みると、息子に立派な仕事させてくれれば、観音様に我が命を差し上げますと言う請願を立てていたとすると納得できる話となる。しかし落語ではそのような部分は語られず単に「(息子が)自分が認められないと思ったのでしょう」と言う風に慨嘆するに止まっている。しかし出来た観音を母も見て、三十両の値段をつけているのであり、これも不自然である。原作であった部分が削られて表現できていないのではないかと言う感じもするが、事実関係は不詳。
これは非常に重要な点で人情噺と銘打つからには絶対に落としてはならない当時の人々の信念と信条、本質であると我は思う。

そんな請願を勢いでたといしてしまっても、名人になれば後は喜んで知らん顔……別に死ぬほどの事はない……と思うのは現代人の感覚であり、昔の人はそこまでの人生の真剣さがあったということ。それを描かないで人情噺の意義はなく、ここにこそ真に重要な心の機微があるのであり、そこを語れないのは少し遺憾であり、情けない限りである。
確か圓生の人情話に「小判一両」というのがあり、町人から子供を通じて一両を恵まれた浪人が自決する話があるが、当時の武士の覚悟を語る話として中々の秀作である。ただ恵んだ町人はともかく、それを見ていた武士がその心情、「恵まれ→切腹」という構図を見抜く洞察の目を描いてほしかったと思い、これが残念である。

思うに現代の落語家たちはそれなりに語り口は上手く、皆ある程度のレベルは保持していると思う。これは昔と違って各オーディオ装置も完備し、大勢の名人たち、各師匠の名人業を繰り返し聞ける環境にあり、それなりに勉強しようとすればある程度のレベルに達する事は昔ほど困難ではなくなっているのではなかと思えるのである。しかし語り口の上手さはともかく物語の本質、その歪んだ所までも写すのはいかがなものか思うのであり、もっともっと勉強して正しい古典を歪みを正して正しく伝承する努力はなしてほしいとは思うのである。



※ まじめに精進されている方には失礼な表現ではあるが、今の落語を聞いていると余りにも勉強が足りないと思う。「付け焼き刃」の意味合いをトンチンカンな説明している者もいるし、眠り猫の意味合いもちゃんと説明できていない。剣術や柔術、武術系に関する知識がないのは今の他の似非文化人と大差ないから致し方ないが、現代剣道から古伝剣術を語っても詮のない話である。単に師匠からの話をその侭受け継ぐだけではなく、不自然と思える事は抽出して何とか軌道修正する努力は必要であり、それが道を究めるということであると思うのである。


●矩随と政随
それはそれとして名人金工師「濱野矩随」である。実在の人物であり、確かに江戸中期以降、神田に住した名人であり、その親師匠が「政随」である(落語では「矩安」となっていたがこれは間違い)。落語でも名人とされるが、実際的にも名金工の一人である。
「政随」の銘のある縁頭があったのでその名前に釣られてつい入手した。意匠は鶴亀である。
大分痛んでいたので少し磨いたので特に頭の部分は少し違ったようになっているかも知れない。これは色が付くまで少し落ち着かせる必要はあるだろう。縁の部分は汚れもあったがそれなりには健全である。出来はと言うとそれなりの名手の作と思われ、技術にも破綻はない。名工濱野政随としての腕はそれほど窺えないが、政随作にも色々作柄の高低もあるだろう。とはいえそれなりの名手の作としては認められるが、濱野政随の真作かとなると銘ふりから言うとかなり厳しいかも知れない。似ているが……少し違う気がする。主に濱野家系の銘は「濱野○○」そして花押を彫るのが多い、また自体も独特のものが多い。尤も政隋の分は必ずしもそうではなく、余り濱野を全面出さず、普通の行書風のものも多いようであり、「政随」のみの銘彫もないとは言えない。

また濱野家とは違う、全く別系の「政随」かも知れず全く贋作とは言えないとは思う。同家代作代筆の可能性も含め、ともあれ色々夢を残す道具であり、ちゃんとした仕事をした江戸金工の良作の一つである事は間違いない。


●「鶴亀」の意味合い

最後に鶴亀の意味合い、「鶴は千年、亀は万年」と言うメデタ言葉の意味合いを考えておこう。これは考えてみると不思議な言葉であり、そんな長生きの鶴も亀もいるとは思えない。
これを落語調に解すると、これは駄目なフニャフニャ讃岐うどんの事になる。腰もなく、喉越しも悪い死体麺。それを評して「ツル(ット)センネン(簡単に)カメマンネン」「あんなんあかんわ」と言う意味となり、余りめでたい言葉ではなくなってしまう……。よって逆説的に解釈してみよう。つまりツルツルピカピカの茹でたてのコシのある出来のよい讃岐うどん麺。麺は生きており、噛み応えも十分ある。

「ツル(ット)スンネン。(歯ごたえ良く)カメマンネン」「ホンマに結構美味しいわ」とするとメデタイ言葉となる……、がここまで考えて、少しこじつけ的である様にも感じる。もっと素直に讃岐うどんに対する大阪うどんを代表する上方うどんの繊細な美味さを表現した言葉の様な気がしてきた。シコシコゴツゴツの讃岐麺に対して、程度な柔らかさと麺の味わい。モチモチ感などを直截的に表現した言葉なのではなかろうか。

「(そんなに)ツル(っとは)センネン。(ちゃんと)カメマンネン」「上方うどんがやっぱり美味い」という

ところだろうか。


●鶴と鷺
頭にはいま一つ問題がある。柳の木に止まった鳥の図となっているが、柳に枝に止まる図は鷺が著名である。両者には何か謂れがあるのかも知れないが不勉強で分からないがその様な図が多い事は事実。それではこれは鷺の図かといえば亀と鷺というのも不思議な取り合わせである。
また一説には当時の絵師や意匠家は鶴の本質を余り正しく理解しておらず、よって木に止まった図を描く事も多かったいう。という事は木に止まってもこれは鶴でもよいことになる。しかし……とまだまだ疑問が残るがこれからの宿題としておこう。

●亀と杖と……?

亀の構図も不思議である。景色は松であり、亀の敷いているのは杖的なものと横木的なもの……? 何か意味がありそうだが分からない。特に横木的なものはの正体が不詳で金装飾をしているのだから何か意味ある様にも思うが分からん。何かの洒落かと思うのだけど?

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