本論「コトハジメ」
終戦後、何年か経って漸う落ち着いてきた港町神戸、同地に幼年期において生まれ住んでいた男の話である。彼は幼少の頃近所の行きつけの店でたこ焼きを食べていたが。青年になって東国に住んだが以後絶えてたこ焼きを食べるという事はなかった。東国にたこ焼きがないわけではない。しかし東国のたこ焼きは神戸のそれとはスタイルがかなり違い、よって違和感が強く、殆ど食べる機会がなかったのである。といって神戸にたまに帰る事があっても不思議に昔のようなたこ焼きに遭遇する事なく、やはり食べる事はなかった。しかしこれは考えてみれば何とも不思議な事である。関西と関東では食文化が違うから関西にあって関東にない食品もないとは言えない。しかしいつの間にか神戸でも食べる事がなくなり、その男の心に不思議な感覚が生まれた。彼はふと思う事があった。「我が子供のときに食べていたあの食べ物はいったなんだろう?」「確か『たこ焼き』と言っていたと思うが、しかし関東でも、そして神戸でもたこ焼きと言われるものはかなり違った食べ物ではないか」と。
そして幼少の頃食べていた事も夢とうつつの境にぼやけ現実にあった事とは思われないようになっていた。……果たしてそれは現実に存在したものであったのだろうかとも疑った。
その一つの原因は一般の者に神戸のたこ焼きの話をしても殆ど通じないし、詳しく話してもその存在を信じて貰えない。それが神戸人においても話が殆ど通じないと分かった時、その男もかく話を人となす事も何時しか止めていた……。
真にしかりであり、幼少の頃の記憶というものは多くの場合かなり曖昧なものであり、記憶と記憶がややこしい形で錯誤して別の記憶が新たに造られる事もある。だからそれは一時の何か別の伝聞を勘違いした、ちょっとした間違いによって造形された誤った記憶か何かであったのかも知れなかった。
しかしながら仮令そうであるとしてもそれは全く大した事ではないし、生活に支障をきたす要素は皆無である。そんな事、本当に全くどうでもよい様な話であり、その男も全くそれを気にする事すらも忘れていた位の事である。
しかし時が流れ、平成十八年の終わりごろになって、様々な事情により男は東国に住しながらも月に何度かは神戸辺りを巡る必要が生じ、再び神戸文化に多く触れるようになっていったのである。
しかしながらそこでまた新たなる不思議な感覚が生じた。
その男の知っている神戸は現代の神戸そのものではない……。知らぬ間に烏兎が無数に瞬き何十回かの寒暖が繰り返され、また神戸の地も大震災という大波を既にかぶってしまっており、伝統ある神戸の町もすっかり模様替えをして虎伏す野辺となりにけり。
少子化により学校が消失し、景観が変わった事は致したないが、神戸特有の味覚も大きく様変わりした事に驚かされたのわけである。神戸にあって東国にない食べ物があってもそれは文化の相違であり致したない。しかし驚いた事に神戸でも多く見かけなくなったものも数多いのである。食品以外の文化についてはいわずもがな。食べ物に関しては神戸風の美味しいうどんや蕎麦を食べれる処もなくなったし、夏の優れた清涼飲料水である「ひやしあめ」などもおいている店もない。神戸人に聞くと「あんなもの今日日誰ものまへん」で終わりである。
ただ色々神戸の現在の状況をネットを通じて調べて行く過程において、色々な事実が判明した。そしてその調査の果てに図らずもその男が幼少の頃食べていた「たこ焼き」の正体が判明したのである。それは夢ではなく確かに実在していたもので、神戸特有のたこ焼きである。しかし神戸人であっても全ての者が必ずしも認識しているわけでないという事実があるが、その紹介サイトの解説によりその謎も何とか解けた。それは神戸と言ってもある程度限られた範囲、兵庫区や長田区で食べられたいた下町風のたこ焼きのスタイルであったという事である。それが時代の流れの中で僅少になっていった流れも了解できたが、しかしながらそのサイトの解説によると、昔風の「神戸たこ焼き」が食べられる店も少ないながらも未だ存在しているといい、そしてその店の紹介もあった。その男が欣喜雀躍した事は想像に堅くない。よって以後その紹介された店を訪れて四十年ぶりかにその懐かしい味覚を味わったが、また神戸訪問の機会を捉えて紹介された店は勿論の事、また新たな店も探索して神戸のたこ焼きの記録をとり始めた。
そしてその探訪を通じてその存在の本質と実態が次第に理解できてきた。神戸のたこ焼きという事で「神戸たこ焼き」という言葉で今日認識される事が多いが色々な店を訪れてその実際に触れてみると、それは決してひとつのパターンで定義できる事ではない事が分かる。色々なスタイルがある事には本当に驚かされる。よってその探求の末にその男は思ったのである。
「これは……単に『神戸たこ焼き』何ぞという言葉ではとてもでは一括りに出来ない。色々なパターンと段階があるのであり、その究極のスタイルを『神戸下町たこ焼き』と定義して、そこに至る各段階をそれぞれ分類しなければ混乱するばかりである。
そしてまたかくも多彩な文化を育んだ神戸のたこ焼きの本質を県外に向けて紹介する事もそれなりに価値ある事ではないか」と。
かくした思いで立ち上げられたのが本サイトである。この珍しいたこ焼きスタイルも神戸における独特の食文化の一つとして諸氏に認識されれば、それだけでその男もある程度は満足であろうかと思われる。



●本サイトは先行研究である「神戸たこ焼き」のサイトに触発されて追研究をなしたものである。
ホームページ「神戸たこ焼き」
http://www.kobe-takoyaki.com/

●最初「幻の神戸上方うどんの世界」のサイトの中に「神戸たこ焼き」の研究コーナーを作り、そこが容量が一杯となったので基本データを本サイトに移し、また探求を深めたものである。
ホームページ「幻の神戸上方うどんの世界」
http://udon.easy-magic.com/user/

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